私が新潟に出張しているとき
アントニオ猪木さんの訃報が
入りました。
ご病気で治療中とは知って
おりましたので、来るべき時が
来てしまった感がありました。
心の底から「お疲れ様でした」と
言いたいです。
私は昭和43年生まれなんですが
新日本プロレス全盛期、直撃世代です。
金曜日の8時が楽しみで楽しみで
その中でも猪木が大好きでした。
NHKもクローズアップ現代で
特集を組むんですね。▼
ハンセンは、今でもご存命なのですね。
相変わらず、チャーミングなお顔です。
この4人に、直木賞作家の村松具視さんを
加えて欲しかった。私は、村松さんの
『私、プロレスの味方です』を読んで、
猪木がハンセンに勝つときは
なんで、決め技がローリングクラッチ
ホールドなのか、謎が解けました。
▲書影をお見せしたいけど絶版なので
古本で、しかも2冊目の『当然、プロレスの
味方です』しかなかった・・・。
表紙の人物は「アブドラザ・ブッチャー」
です。以前、ジャンボ鶴田さんのご実家に
お参りに伺った時、ブッチャーと鶴田が
映った写真があったのを思い出しました。
そう、私は筋金入りのプロレスファン
なんです!(主に新日)
特に猪木に関する本は
『プロレススーパースター列伝』
少年サンデーで連載していた
名作マンガです▲
『アントニオ猪木自伝』
この2冊は暗記するほど読みました。
猪木自伝は大人になってから
出版された本だけど、何度も読みました。
特に感銘を受けたのは、
『人は出会いによって
人生が変わっていく』
ということです。
力道山に見出されましたが、彼が
ブラジルに来なかったら、猪木は
その才能を見出されなかった。
カール・ゴッチに師事しなければ
あそこまでファイティングスタイルに
ならなかった。
猪木は自らの手で出会いを
つかみ取り前に進んでいった。
私が中学校の時が新日の最盛期で
卒業アルバムに「猪木命、ファイト!」
と書きました。(これホント)
同じクラスの不良男子が笑って
バカにしてきたけど、ガン無視して
心の中で、延髄切りを何度も食らわせ
ノックアウトしてやりました。w
中学校なんてたった3年だから、
クソな不良にバカにされても
気にせず、学校に行けたのは
猪木のおかげです。
猪木は、自分の生きざまで
多くの人を救ってきたわけです。
子どもの頃の2年3年は、
永遠に続くように感じますが、
成人し振り返れば、短いものです。
その時にたとえつらいことが
あったとしても、心の中に
猪木を発動して、コテンパンに
やっつけて、卒業しましょう。
猪木は、私の心の中にいつまでも
生き続ける永遠のヒーローです。
※プロレスは手袋と無縁なので
今日は手袋登場せず。
心よりご冥福をお祈りいたします。
寒くなっても、どうぞご安全に。
たかが手袋、されど手袋。
作業手袋でゼロ災へ!
のりねえ
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